小林はほとんどゲームばかりして暮らしている

どうも。小林と申している人です。ゲームが好きです。コメント気軽にしてね仲良くしましょう。うんこ。

ゲームにおけるストレスは悪なのか

こんにちは。

 

小林です。

 

最近スマホ遊戯王を遊ぶことが多い。そこそこ楽しめるのだが…なによりもチャット欄が酷いのである。

 

というのも、所謂キッズと呼ばれる低年齢層が書き込みの大半を占めているので、会話の内容がかなり見苦しいものになっているのだ。

嫌ならチャットを見なければいいと思われるだろう。が、そうはいかないのがこのゲームの少々勿体ないところで、何故か対戦中を除いた全ての画面で常に画面上部をチャット欄が占拠しており、そこでは四六時中下らない喧嘩が繰り広げられているのである。

 

これはやはり対戦ゲームの性というものなのだと思うが、度々制作側の意図していない遊び方をするプレイヤーが表れてしまう。一人用のゲームだとそういった行為は別に構わないどころかゲーム愛さえ感じさせるのだが、対戦ゲームとなると話が違う。

 

画面の向こう側に人間がいるのだと理解できないプレイヤー達は、何一つ悪気なく他人のプレイを阻害することがある。それは遅延行為などの所謂バッドマナーと呼ばれる行為であったり、協力プレイ必須のゲームにおける単独行動だったりする。そういう行為を繰り返すプレイヤーがマッチ内に一人でもいると、偶々マッチしたなんの罪もないその他のプレイヤー達は十分にゲームを楽しみ切れないんじゃないかと思ってしまうのだ。

 

まず基本的に対戦ゲームにおける目的というものはゲームに勝つことだと思うが、人によっては対戦相手や協力する仲間を、酷く不真面目なプレイや相手を挑発するような行動でイライラさせ、その様子を見て楽しむのが目的だったりと様々であるのが現状であると思う。

 

ゲームというものにおいて勝利などの目的を達成するために手段を選ばないことが当たり前になっているようだが、私はそういった風潮があまり好きではないのである。

やはりすべてのプレイヤーは楽しみたいがためにゲームをプレイしているだろうし、決して不快な気分にはなりたくないはずである。

勝ったら楽しい、負けたら楽しくない、というものではあまりにもその考えにあてはまらない人が出てくる。なので世のプレイヤー達はそれぞれの楽しみ方を持っているものだが、それは全て勝ったら楽しいし負けたら楽しくないというものに基づいているはずである。

 

それなのに他人を負けという本来嫌な気分にさせるものに陥れてまで自分の歪んだ楽しみ方を貫こうとするプレイヤーには当然憤りを感じるし、ゲームをプレイする資格が無いとまで思う

こういう書き方をすると、対人戦で勝つということは他人を負けという本来不快な気分になるものに陥れてまで自分の楽しみ方を貫こうとする、に当てはまるのではないかと思われる方もいるであろうが、対戦ゲームにおいて勝ち負けは必ず決まるものであるからして、負けない(不快な気分にならない)ための対策をプレイヤーは取るわけである。それ自体は大変有効な手段だと思うが、ただその対策というのがゲーム内に収まるべきであると私は思うのである。

 

例えば、私の経験からいえば勝利が正義という考え方が比較的顕著なのが格闘ゲームであると思うのだが、一部のプレイヤーは対戦相手を挑発する行為や、腕前が自分より下のプレイヤーに対して明らかに手を抜くなど、(反射神経や繊細な操作が必要とされる格闘ゲームにおいて憤りというのは大敵である)対戦相手の本来の力を発揮させずに勝つ、というやり方をするプレイヤーもいる。

 

こういう輩に対して一部の格闘ゲームプレイヤーが取っている対策というのが主に2つあり、一つがプレイヤー同士の情報共有である。明らかに相手を不快な気分に陥れようとするプレイヤーと対戦したプレイヤーが、他のプレイヤーに対し実際に対戦した相手を挙げ、こういう名前のプレイヤーは挑発ばかりしてきて不快だった、などと2ch等で注意喚起をし、対戦拒否の形をとるものである。そういう行為は「晒し」、それを行う場所は「晒しスレ」などと呼ばれ、手段としては当然ゲーム外の対策であるし、あまり気持ちの良いものでもない。

 

もう一つがあからさまな挑発をされても動じない精神を鍛え、どんな状況においても本来のパフォーマンスを発揮するトレーニングを積むというものである。これにいたってはもうなんともいえない。というか本来しなくてもいい努力である。実際に有効な手段かどうかは置いておくとして。

 

世の中には様々な考えをもつプレイヤーがいるとはいえ、例えば友達や知り合いに「よし!挑発を繰り返してイライラさせて、相手に本来のパフォーマンスを発揮させない作戦だ!」とすれば当然人は離れていくだろうし、面と向かってプレイをする際には誰もあからさまな挑発などしないだろう。

 

結局、画面の向こう側に人がいるのだということを理解できないプレイヤー達が歪んだ楽しみ方で対戦ゲームの全てをダメにしていく。それは対戦だけではなく全てのゲームに存在していて、またすべてのゲームで疎まれているであろうと思う。

 

なぜそういうプレイヤーがいなくならないのか、というものに私なりの答えが一つある。

的外れな意見かもしれないが、つまるところ負の連鎖である。

例えば傘を盗まれた人は雨をしのぐことが出来ないし、サドルをとられたら自転車に乗れない。

ゲームで酷いプレイをされて腹を立てたプレイヤーが、同じような酷いことを他の多数のプレイヤーに行ってしまっているのではないか、と考えている。

 

例えば私のよくプレイするオーバーウォッチの場合、通常6vs6の協力戦であるが、一人でも真面目に戦う気配が見えないプレイヤーがいると、他のプレイヤーも真面目にプレイするのをやめてしまうことが大変多い。

具体的に例を挙げると、一人が唐突にソンブラ(ニート)をピックすると、急にルシオ(チームの要)がトールビョーン(ゴミ)にキャラ替えし、ラインハルト(チームの要)がバスティオン(役立たず)に替わる。トールビョーン(元ルシオ)の人にとってはもう何回も我慢してきたものがここにきて突然のソンブラピックに怒りが爆発した結果トールビョーンにクラスダウンしたのかもしれないが、オンラインゲームは沢山のプレイヤーがいるもので、その爆発がバスティオン(元ラインハルト)にも、またその他のプレイヤーのストレスにも繋がってしまったといえるのだ。

 

遅延行為をしてエモートを連打するのも、チームワークをわざと乱すのも、またチャットで喧嘩を繰り広げるのも、全て他のプレイヤーを不快にさせるし、またそのような行為をするプレイヤーには対戦ゲームを遊ぶ資格がはっきり言って無い。一人用のゲームでNPCに対してやってればいい

 

ここで初めてブログのタイトルに触れるのだが、結論を言うと、私は対戦ゲームでストレスを感じることを負い目に思うだとかゲームにストレスを感じる自分に対しまたストレスを感じる必要はないと考える。ストレスを感じさせるようなプレイをする奴が悪なのであって、ゲームを楽しむ疎外をされてストレスを感じるのはごく自然である。

 

ただ、一つ忘れてはならないこともある。

それは自分ルールを人に押し付けることは決してあってはならないということ。

何をしてでも勝つ、不利な状況になろうと自分なりの楽しみ方を貫く、というのは仲間に迷惑をかけたりだとか相手を不快にさせる行動でないかぎり悪ではない。

 

時には定石から外れた突拍子もない行動をとることも面白いだろうし、誰も気づかなかったような視点から独自の攻略を進めていくのも楽しいだろう。

 

そのような楽しみ方を模索するプレイヤーに対して勝手に不快になり、そのプレイヤーに対してあいつは不真面目なクソプレイヤーだとレッテルを張ってはいけないのである。冷静に見れば一般的な攻略とは違えど、真面目に楽しんでプレイしている人であったり、単純に批判している側の知識不足で実は有効な手段であるというのもよく見かける。

 

ときに図々しく、しかし基本的には謙虚な姿勢で対戦ゲームを楽しんでほしい。そう思ってやまないクリスマスであった。

 

追記 自分語りって書いてる時が一番楽しいですね。今となっては恥ずかしすぎてまともに文章が読めないです。でもそんな自分が好き。いえい